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← トップページへ戻る 日記

モーニングページ10月26日「虚無主義」

 悲しいことに、私の人生も終わろうとしている、なんて書き出しをしたい気持ちになっている。両親は私が生きていくことを望んでいるらしいが、自分自身、なんともはっきりしない気持ちだ。また生きるパワーがなくなっていく。なんでだろうなあ。虚無主義 この言葉の意味を調べてみる。

虚無主義(にひりずむ)は、人生や世界には本質的な意味や価値がないと考える哲学的な立場を指します。この思想は、すべての価値観や道徳、信念が無意味だとする見解から成り立っており、特に「存在そのものに意味がない」という点に重点を置きます。

虚無主義の特徴

虚無主義は、人生の目的や世界の真理に疑問を投げかける点で、多くの人の価値観とは対立します。特に次のような特徴が見られます:

  1. 絶対的な価値観の否定: すべての道徳的価値や文化的価値観は主観的であり、客観的な価値基準や普遍的な「善悪」は存在しないと主張します。
  2. 宗教的・哲学的な意味の否定: 宗教や哲学が提示する「生きる目的」や「究極的な真理」を疑い、無意味だと考えます。例えば、神の存在を信じず、死後の世界についても否定的な見解を持つ場合が多いです。
  3. 人生の意義や目的の否定: 人生そのものに意味がないと考えるため、「人生の意義」についても懐疑的です。そのため、何かを達成するために努力することや、社会の期待に応えることに対しても無関心な態度をとりがちです。

虚無主義と文学

文学においても虚無主義は強く影響を与えています。例えば、フョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や、アルベール・カミュの『異邦人』といった作品が代表的です。これらの作品は、神の存在や人間の道徳が失われた世界での人間の姿を描き、無意味さの中に生きる人々の姿を表現しています。

虚無主義の影響

虚無主義は、人間の生き方や価値観に影響を与える一方で、自己の価値や人生の目的を考え直すきっかけにもなります。一部の人々にとっては、「すべてが無意味であるならば、自分が選んだ意味が唯一の意味だ」という見方もでき、自由を感じたり、自己責任の重さを自覚したりする機会にもなるでしょう。

虚無主義は悲観的な見方であるものの、それに向き合うことで個人の価値観や信念を再構築する機会となることもあります。

 異邦人、カラマーゾフの兄弟が、虚無主義だったとは、、、なるほど時間軸的には、そんなものか。生きることは、誠にめんどくさいものだし、生きていくことにそれほど価値を見出せないのは事実。同様に、今急いで死ぬことに価値を見出しているわけではない。まだまだ虚無の入り口に入ったばかりなのか?まだまだ虚無をのぞいただけなのか?

 虚無。この言葉に魅入られたのか?早く虚無の世界へ行きたいものだ。いずれ行ける。その時を待て。

 私の言葉ではなく、参照された言葉の多い問題について。つまり、私は今回ほとんど書くことに時間を費やしておらずに、私は調べること、他の動画を見ることに時間を使ったのだ。

 母が見た奇妙な仲間外れにされた夢。これは、我が家族が、社会的に仲間外れにされていく過程を予言しているのではないか?と思った。母が言う何か良くない夢について、私が語るべきものは多くない。だが、その暗示から私が受け取るものは、虚無や絶望、いや、暗い予測、暗い未来だったりするのだ。

 さきほど何者かが、家の外で話していた。おそらく声の量からして、4~5人はいただろう。何を話していたかは、わからないが、”私”に関する何かだったのかもしれない。私に対する侮蔑と私に対する攻撃を余すところなく、口で音声で行っているのかもしれない。もちろん、可能性の領域として、である。可能性は常にある。しかし、可能性は絶対ではない。そのことだけ、肝に銘じて、すすんでいこう。

 私がいなくなった後、私の意識はどこへ行くのか?この疑問について、いろいろな考察が可能である。ちょうど空白のイデアの佐藤の妻のように。この人物は、ひとつの主人公の妻属性として、焦点があてられている。そもそも名前が明恵という以外は、ほとんど出てこないが、周辺からヨルギという姓は出てきている。想像の世界において、そういった視点を持つのも、またひとつの結論だろう。

 どうなる人生。どうなる生命。どうなる人間。どうなる私。どうなる病。どうなる社会。どうなる世間。どうなる私たち。どうなるあなたたち。

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