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薬局にて プログラミング演習

 薬局に行ってきた。最初歩いていくつもりだったけれども、急に自転車でいこうという気になった。病院に行ったときの感覚と似ている。直前まで、車で行こうと思ったのに、結局歩いて行った。今回も、半そで一枚でいこうと出かけたのだが、寒かったので、家に服をとりに戻った。その間に歩いていくよりも、やっぱり自転車でいくことにした。その間の心がわりは謎だが、面倒になっただけかもしれない。

 自転車の旅路は久しぶりで、気候もよく長袖を羽織るとちょうどよいくらいの寒さだった。地下道をくぐって、ニコニコしながら、向かう。なんだか、けっこう世界も捨てたもんじゃない。世界でも良いことあるさ、みたいな考えに染まってしまっていた。そう感じていたからか、幻聴や妄想はほとんど発動せずに良い感覚で、薬局にたどり着けた。ひとつには、信号待ちをほとんどすることなく、スムーズに移動できたのも、大きいと思う。人が多いスクランブル交差点は、私にとって、かなり負担だったので。人は多かったが、悪意となるような感覚や、私のことを噂しているような感覚はまったく生まれずに、無事に薬局に行って薬剤師の人に声もかけてもらった。「よく眠れてますか?」と言われた気がする。私は、「眠れてます。なかなかスッキリとはいきませんが」という物言いをして、無事(?)会話は終わったのだった。今日は朝からなぜか、頭痛が軽くある日だった。今も書いている中で、少し頭の中に何かしこりのようなものを感じている。

 外では子供たちが遊んでいるらしく、けっこうはっきりと声が聞こえてくる。(もちろん、聞こえる単語、聞こえない人の声、聞こえない文章などはある)声の通り方の違いか、電話なのか、片一方の人の声しか聞こえないこともけっこうある。幻聴においても、応答のない幻聴もあるようだ。

 薬局の近くでは工事をしていて、通るときに会釈をしたら、会釈を返してくれたような気がした。工事現場や建築業の人に悪いイメージを何故か持っていたが、今日のことがあってから、少しイメージが改善している。これを機にそういう人たちから感じやすい幻聴や幻覚を減らしていけたらいいな。

 午後はプログラミングの勉強をしつつ、本を読んだりして、過ごした。

 もちろん村上春樹の本もあるし、他の元気が出る的な本もあったし、統合失調症の人が書いた本もあった。いろいろな人が本当にいて、とても苦労された人もいれば、わりあいすんなり治ったという方もいるらしい。どちらにせよ、ひどい病状の人はひどいし、軽い人は軽いのだろう。そういう幅そのものが、急性期や回復期の人もふくめて、大きいのが統合失調症の特徴のひとつなのかもしれない。(それとも、精神の病気全般についていえるのかもしれないが)

 プログラミングについては、CHATGPTに講義形式で教えてくださいとお願いしてみると、その通りにやってくれた。練習問題も出してくれて、問題の添削までしてくれた。説明自体は、決してわかりやすいとは、言えないが、問題を出してくれる点においては、なかなか頼もしいかもしれない。だが、実際、それが正しいかどうかは、動かしてみなければ、わからない面もあるのであるが、、、。課題として感じているのは、さまざまな参考として、プログラミングコードがあるのだが、それを実際にコピーしてつくろうとするのが、よいのか、わるいのか、ひとつのひとつのコマンドの意味を理解しながら、進めていくのが、結局のところ一番良いのだろう。要するに、関数コードのレファレンスがあるので、それを見ながら、ひとつずつコードを組み立てていくのが、よろしいのではないか。(この表現は、何か騎士団長殺しに出ていく騎士団長に似ていはしないか?)少なくとも、本が読めて、コードが書ける、あるいは読めるというのは、自分にとって大きな進歩である。間違いないのだが、そのことを過小評価して、やれ認知機能障害とか、意欲の低下とか、そういうことを気にしすぎているのもあるかもしれない。

 現実には、調子の波は、昨日のように一時的にどん底になりつつも、今日の朝のように、ぐーん と回復していくもののようだから、全体的に、あるいは長期的にみれば、私の調子はよくなっているはずだ。

 だからといって、どう?というわけではないのだが、また意味を考えてしまう。

 なんの意味?私が生き残った意味。私が、なぜ亡くなったほかの人と運命を異にして、生きているのか?という問題だ。きっと、私はなんらかの理由で生かされているのだと、信じたい気持ち。すがりたい気持ちが、あるのは、い事実だ。実際には、なんの意味がなかったとしても、だ。これほどまでに、他人に死んでも支障のない人間が生き残って、他のおそらく、多くの人に好かれて、愛されている人が、事故や病気などによって死んでいくのは、なんという悲しみだろうか。そのことに、私は、とても残念さを覚えずにはいられないのだ。

 長くなってしまったが、ほとんど日中眠ることはなくなってしまった。それが良いか、悪いか、は別にして、疲れが出やすくなるのは、確かだろう。そして、私の中で、いろんなことに対する意欲が湧いてきているのも事実だろう。その事実をただ、見つめて、ただ、その通りにできるだけ行動するのみだ。

 水分は足りているのか?私は自分自身に問いかける。きっと足りている。渇きがあったとしても、その渇きは薬による副作用もきっと含まれているはずだから。

 そういえば、ウェブライター講座のテキストが昨日届いていた。忘れていた。少しずつ勉強もしつつ、進めていけたら、バンバンザイです。

 その後、自転車で薬局から帰りつく。家の中を歩いて、3000歩達成。毎日しぶとく続けて行えている。感情的には、また夕方が来て、昨日のような底の底が来ないかどうか心配しているが、どうなるだろうか?

 母が朝私が起きた時に言った言葉が何故かひっかかっている「たくさん寝たね」確かにたくさん寝たのだが、それをなぜ母がわかるのだろうか?きっと、昨日私の部屋の前を通って、早くに明かりが消えているのを、見たのだろう。そして、そこから8時まで寝ていたものだから(おそらく12時間くらいは寝れたのかな?)、きっと「たくさん寝たね」と言ったのだろう。それだけのことだろう。何を気にしているのだろう。考えすぎだ。

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