何がいいって、村上春樹の好きなところは、文体が私と似ているところなのもある。表現については、ん?と思う表現もあるが(差別的なうんぬんではなく、何か、こう古めかしいあるいは、見慣れない表現を感じる時がある)、おおむね表題に表れているような表現、街と不確かな壁でも良かったのだろうが、あえて、街と「その」という表現を使っているところに、何か、同じようなものの分類、同じような文体の使い方を感じてしまう。それが、今風であれ、昔風であれ、私は、あくまで昭和生まれの人間で、平成の子供時代を生きてきた人間なのだろう。それが、古いか、どうかは、私の個人的な感覚によるところが、大きい。
さて、物語は意外な展開を見せる。なんと!子易さんが、幽霊だったのだ。1年前に亡くなっていて、添田さんと主人公だけに姿を見せるという。遠い昔に大切な妻と子供を亡くして、とても辛い思いをしたらしい。そして、生前からスカートをはいていたらしい。町の人々も、見て見ぬふりではないが、触れないことで、なんとなく落ち着いたらしい。子易さんは、きっと、とても悲しい思いをしたので、ショックを受けて、ベレー帽とスカートを身につけるようになったのだと、町の人々は思ったのだろう。そして、ある日突然、子易さんは、心臓発作で死んでしまう。そして、幽霊になった。何のために?それは、まだ分からない。普通幽霊というと、何が、この世に未練があって、でてくるものだが、子易さんの場合、本人が言っているように、それほど未練があったわけではなく、1人慎ましい生活をしていただけだったので、濃密な関係の人がいるわけでもない。それでも、きっと図書館のことは気になっていて、図書館のことを幽霊になってあれこれ、添田さん(図書館に勤めている司書の女の人)に世話を焼いていたらしい。そして、子易さんのおそらくつなぎ合わされた過去が、添田さんから主人公に語られ終わり、後には主人公と子易さんの関係が持ち上がる。
ここで、子易さんも幽霊になって、影を持たない存在であることが、関わってくる。影のない人が暮らしている、その街と、君、がリンクしてくる。おそらく、この物事の間には何かしかのリンクがあり、子易さんは、主人公が街の世界へと再び足を踏み入れるための鍵を握っているはずだ。そして、主人公は影のない街の世界へ行って、再び巡り合うことができるのか?いや、違う。子易さんが、こちらの世界で死んで影がないということは、きっと、影のない人たちが暮らす街と壁は、生者と死者を分け隔てる壁のようなものなのだろう。とすると?
うーむ?それにしても、ファンタジーだ。小説とはこう、フィクションでなくてはいけない。私がファンタジーが好きなのも、それゆえかもしれない。外国のファンタジー作品よく読んでいただろうか?あまり、記憶にないが、時の車輪シリーズはけっこう読んでいた思い出がある。絶対力とか、戦いのシーンで、ーの型とかでてきたのは、具体的には全くわからなかったが、そういう表現もたしかにあり、だな!と、1人納得していた記憶がある。今一度好きだった本を読み返してみるのも良いかもしれない。何か気づきがあるものだ。きっと、いつでも、青春時代の私は、今の私にこう語りかけてくれるはず、
「たいしたものだったさ、そんなに自分を卑下しないで、あなたは、やれる人、大丈夫な人だよ」とね。