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被害妄想懲罰妄想に対する多角的なアプローチ

 私が職場を突然辞めたことで私を殺そうとしている(あるいはなんらかの害を加えようとしている)人がいるという事実(あくまで、ニルベースでの事実)認知に対してのアプローチ

 多角的な視点(なぜ、そのように思ったか?)

 ニルの中で、職場を突然辞めてしまったことに対する自責の念が強い。

過去に学校や集団において、人に好かれた記憶やうまくやっていたという経験がない

 主に、この2つから導かれる結論が、

日本中の人から(特に地元の人)から嫌われて、みんな私のことを死ねばいいのに、

 と思っている。

 例外は家族と一部の人。ほかの人の同調圧力に負けずに、私を気にかけてくれている。

 さて、この認知に対する多角的なアプローチの開始。

突然会社を辞めるのは、ありえることで、元の職場の人間も私のことを恨んでいないかもしれない。

 この点を補強する材料はいくつかある。一度も職場を辞めてから、元職場の人から連絡も何もなかった。私を責める内容のメールや出来事もなかった。だが、逆に影で私に対する恨みを晴らそうとしていたのかもしれない。私は会社を辞めてから、タクシー運転手をしていたのだが、その営業の邪魔をしていた可能性???お客さんが少なくなったときも、あったりした。突然増えたりもしたこともあった。そのことが、何か、世間の空気的なもの(私に対する賛否が共存していた状態)によるのか、どうか?なぞ。もし、仮に、それが事実として、彼らの恨みは私が辞めたことで、果たされたのだろうか?そして、一度も直接的に害を受けていないので、なんとも、難しい判断である。ここでは、あえて、そうではないアプローチを考えなければならない。つまり、私の存在は別に職場の人たちからしたら、大したことではなく、辞めても業務量は増えたりしなかった。あるいは、何も言わずに辞めたことについて、さほど気にしていない可能性。

人間というのは、それほど人を嫌ったりする存在ではなく、実はわりと親切なものだったりする。

  この点については、あまり多角的な視点から、考えにくいが、人間はそういう存在にもなったり、そうでない存在になったり、

 つまり、天使になったり、悪魔になったりするものだと思う。私は世間や交友関係、他の人とその他の人と話すことを好まないため、私は、そういうのに疎いだけかもしれない。人間と人間のつながり自体が噂が噂をよんで、私という人間に対する嫌悪を促進したのかもしれない。ただし、その結果、私が死んでいない、あるいは害を受けていないことが、妄想であるとする一番の根拠である。テニス仲間や、タクシーのお客さんの誰からもそんな話を聞いたことは一度としてない。また幻聴かもしれないが、「嫌っている人もいるけど、やさしい」という人もいた。それは、でも、幻聴の可能性もある。

 事実だっとして、私にできることは、あまりない。

 私を害したいと思う人間を止めるすべもないし、むしろ、これから人間の中で生きていくこと自体のほうが、とてもつもない負担に感じる。事実であるか、ないか、を確認するのが、認知行動療法の肝の部分の行動の部分だ。

 明日私は先入観を持たずに電車で病院に行く。マスクは病院だけにする。その中で、フラットに私を嫌っている人がいる、もしくは私を知っているだろう人のそぶりを確認できるか、どうかだ。人に話しかける必要はない。ただ、コンビニで買い物をして、その反応を少し見てみよう。あるいは、昼食を食べて、そこで反応を見てみよう。一気に負担がでかすぎるかもしれないが、統合失調症という病気は被害妄想や幻聴を起こすことがあり、私は統合失調症という病気で病院に通っているという認識のうえで、確認してみなければならない。

 もし、悪口や噂話をされたとして、何を恐れているのか?

 その部分が、私にとって未だに謎の部分だ。言われたとして、私のやってきた過去のことが消えるわけでもない、私が病気にかかっている事実が消えるわけでもない。

 ただ、なんとなく恐怖を感じる。人から嫌われて、噂話をされることに恐怖を少し感じている。私の中で、生きること、人から愛されることに対する希望がわずかでも残っているのだろうか?そうでなければ、説明のつかない現状である。

 ただ、本能的に社会的動物として、群れから疎外(仲間外れ)にされることを恐れているのかもしれない。あるいは、捕まえられて、痛い目にあわされることを恐れているのかもしれない。ただ、それは、私のやってきた人生のひとつの結果であるため、そのことについて、どうのこうのいうことはできない。つまり、すべて私の責任である、という意味。

 私は私の望む行動をして、それに対して、世界は、ひとつの結果を返しただけ。

 すべての人が自分を嫌っている前提で、生きることにまだ慣れていないのか?

 慣れないといけないな。幻聴は消えるものではないし、人間観に対して、何か変わることがあるとも思えない。

 私は私でいるために他者から仲間はずれにされるのだろうか?

 41年間嫌われる力で生きてきた私にとって、誰からから好かれているかもしれないという幻想は捨て去るのだ。そして、他人の好意や親切に依存しない人生を歩まなければならない。(もし、生きるとしての話)

 明日世界中の人から嫌われること、憎まれることに恐怖を感じていると先生に話してみよう。

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